二十代の若い全精力を注いだのが登山。21才の5月、高校時代の友人と八ヶ岳を清里側から登ることを試みたがまったくの知識、経験不足で途中断念。その後、山岳会(九十九山の会)に入会。本格的に登りはじめた。この山岳会は2010年で創立50周年を迎えた。
奥 多摩、丹沢、上越、信越、南北アルプス、八ヶ岳、奥秩父を中心に尾根道から、沢筋から、岩壁から、薮だけのバリエーションルートから頂上を目指した。「登 山の真の喜びは頂点につくことではなく頂点までの過程にある」と感じている。その過程の中に躍動するエネルギー、生の充実を大いに感じたことをいまでも鮮 明に記憶している。
ヨーロッパアルプス 「モンブラン登山」(1977.8)
山岳会創立15周年記念の海外遠征。シャモニについてから連日の雨。近く に望む山には新雪が覆う。登山活動を延期して単独でイタリアに。ミラノ、ローマに遊ぶ。カラカラ浴場跡での野外オペラ「アイーダ」は圧巻だった。数日後に シャモニに戻って仲間と合流。ようやくのモンブラン登山。それまでの不摂生がたたって苦難の末の登頂。頂上はなだらかな雪原だった。幾多の氷河が眼下に広
がる。帰途は再び他のメンバーと別れてベルギー、パリ経由で帰国。
ネパール 「アンナプルナ、ダウラギリ山塊のトレッキング」(1974.5)
3人の日本人にシェルパ1名、ポータ4名のキャラバンで行動。神々の座ヒ マラヤに感激したと同時にそこに同化する住民との交流が忘れられない。数百年の間、まったく同じ生活を続けていることに対する驚き。カトマンズが排気ガス に悩んでいるとの最近の報道。15年前のメキシコシティーもそうだった。ブルータスお前もか、と言う感じで残念としか言えない。
国内登山
これまでに200回におよぶ登山をしてきた。それぞれが一つの物語になる。そして登山は唯一、文学になるスポーツでもあるそれらの物語の中から特に記憶に残るものは。。。。
南アルプス赤石岳、荒川岳、聖岳 |
山岳会に入会後初めての本格的な縦走登山。3000mの稜線での幕営を初めて体験 |
冬の八ヶ岳南稜 |
直下の幕営地から見上げた月明かりに照らされて光る白い岸壁に「神」を見た |
冬の後立山縦走 | 槍ヶ岳をめざしながら悪天候にはばまれかなわず。冬季避難小屋で風雪の止むのをひたすら待った。 |
剣岳定着合宿 | 青空の下、八峰その他の岩壁登攀。 |
富士山雪上トレーニング | 37名の犠牲者をだした大雪崩発生。合掌。 |
秋の燕岳 | 冬山の偵察山行転じて最高の紅葉、安曇野見物に。 |
秋の巻機山沢ルート | 美しい草原状の山とその中に沢が割り込んでいる。 |
五月の岳沢定着 | 前穂高西壁、西穂高などなどの登攀。 |
五月の槍ヶ岳北鎌尾根 | 登山家加藤文太郎が逝った尾根。五月の青空と黒い岩肌、白い雪に青春の血潮が沸いた。 |